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ジョン・レノンが国家に消されかけた、平和という名の革命

クリスマスの朝、世界12都市に貼られたポスターの正体

1969年のクリスマス。東京、ニューヨーク、ロンドン、パリ、ベルリン……世界12都市の街角に、突如として巨大なポスターが出現しました。

「WAR IS OVER! IF YOU WANT IT(戦争は終わった。あなたが望むなら)」

署名はただひとつ、「Love, John & Yoko」

これは単なるアート作品でも、音楽プロモーションでもありませんでした。ジョン・レノンとオノ・ヨーコが私財を投じて仕掛けた、史上最大規模の”ゲリラ平和運動”だったのです。

当時はベトナム戦争の泥沼化が深刻で、連日アメリカ兵と市民の死傷者ニュースが飛び交っていた時代。そんな世界に向けてふたりは「戦争を終わらせる力は、政府ではなく、あなた自身の中にある」というメッセージを叩きつけたのです。


FBI監視、尾行、そして国外追放命令――国家はなぜレノンを恐れたのか

ここからが、表の歴史には書かれにくい話です。

1972年、レノンはアメリカの反戦活動家たちと連携し、リチャード・ニクソン大統領の再選を阻止しようとする大規模コンサートを企画します。これが決定的な引き金となりました。

ニクソン政権はFBI(連邦捜査局)にレノンの徹底的な監視・尾行を命令。盗聴、郵便物の検閲、行動記録……まるでスパイ映画さながらの監視網が、ひとりのミュージシャンに向けられたのです。そして米国移民局は「麻薬所持の前科」を口実に、レノンに対して国外退去処分を求める圧力をかけ始めます。

陰謀論的な見方をすれば、「麻薬前科」という口実はまるで用意されていたかのように都合が良く、実際にレノン自身も「政治的な圧力だ」と公言していました。後年、情報公開法によって開示されたFBI文書には、レノンをターゲットにした工作活動の記録が実際に存在していたことが明らかになっています。

ひとつの「平和を歌う声」が、超大国の情報機関を動かした――これはもはや単なる音楽の話ではありません。


女王からの勲章を返す男――MBE返上に込められた静かな怒り

時計を少し戻すと、1969年、レノンはもうひとつの歴史的行動を取っています。

1965年にビートルズがイギリス女王エリザベス2世から授与された大英帝国勲章(MBE)を、わざわざ返上したのです。

添えた手紙には、こう書かれていました。

「ナイジェリア/ビアフラ問題へのイギリスの関与、およびベトナム戦争へのアメリカ支援に対する抗議として、勲章をお返しします」

国家から与えられた最高の栄誉を、国家への抗議のために使う。これほど痛烈な政治的パフォーマンスはなかなかありません。しかも相手はイギリス王室です。

一説には、この行動がのちのFBI監視を加速させた遠因のひとつだとも言われています。「ビートルズ解散後のレノンは、単なるロックスターではなく、政治的に危険な扇動者だ」――そう見なされ始めたのは、まさにこの頃からだったのかもしれません。


「レノン・ウォール」として甦る、50年後のメッセージ

レノンは1980年、ニューヨークのダコタ・ハウス前で凶弾に倒れます。犯人はマーク・チャップマン。動機は今も様々な憶測を呼んでいますが、一部では「FBIや政府機関による暗殺説」が語られ続けており、完全に否定できる証拠もないのが現状です。

それでも、彼のメッセージは死によって消えるどころか、世界中に広がり続けています。

香港の民主化デモ(2019年)では、市民が抗議のために貼り続けたポストイットの壁が「レノン・ウォール」と呼ばれました。プラハ、台湾、そして各地の広場に現れるこの「壁」は、いずれも市民の声を可視化する場所として機能しています。

「WAR IS OVER! IF YOU WANT IT」――このメッセージの本質は、戦争を終わらせる主語は「政府」でも「軍」でもなく、「あなた」だという点にあります。

半世紀以上たった今も、この問いかけは色あせるどころか、ますます鋭さを増しているように感じます。

「あなたが望めば戦争は終わる」――ジョン・レノンが国家に消されかけた、平和という名の革命