今回は「今日は何の日シリーズ」第一回目として、明治6年(1873年)10月23日に起こった一大政変について話します。
この日、征韓論に端を発する政府内の対立で、西郷隆盛、板垣退助らが下野した明治6年の政変が起こりました。
まず、朝鮮問題がなぜ起こったのかを知る必要があります。
徳川幕府と朝鮮国は、友好的な関係を保っていましたが、維新後の明治元年(1868年)12月、明治政府は使節を朝鮮に派遣し、徳川幕府が廃止されて、王政復古に基づく新政府が樹立されたことを伝えます。
そして、従来通りの友好親善を求める国書を渡そうとしました。
ところが朝鮮側は、国書に用いられている文字や印章が旧例と違うことなどを理由に国書の受理を拒否します。
明治政府は当惑しつつも交渉を続け、旧例と違うと朝鮮側が指摘した部分を削除するなどして、事態の収拾を図りますが上手くいきません。
この問題の根幹には、朝鮮側の「小中華主義」と攘夷思想がありました。
歴史的に中国王朝を宗主国とする朝鮮は、大中華の文明を吸収した自分たちが、そうではない日本よりも上位に位置すると考え、さらに撃ち払うべき西洋を見習い始めた日本人を蔑んだのです。
これに対し、朝鮮を非難する声も日本国内に起こりますが、政府は隠忍譲歩を続けました。
ところが明治6年、釜山に江戸時代から置かれていた日本公館の門前に、「日本人は西洋の物真似をする恥ずべき人間であり、日本は無法の国」と記した文書が掲げられます。
・・・現在の慰安婦像設置と同じような事です。
この事で政府の人達は激昂しました。
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