今回は、武士道について話そうと思います。
1990年に新渡戸稲造が世界に向けて日本人の精神性を広めるために執筆した本「武士道」が、日本人の書で初めて世界的なベストセラーとなりました。
この本が誕生するきっかけとなったのが、新渡戸稲造がベルギーに滞在している頃に、「日本の学校には宗教教育がないが、あなた方はどうやって道徳教育を授けているのか?」と問われて、返答に困ったという体験が元だと述べられています。
武士道を西洋の騎士道にも匹敵する道徳高潔な精神と論じる同書の記述は、近代明治という時代のナショナリズムが作り上げた虚像に過ぎないといった批判的論調も目立っていて、評価は分かれているのですが、日本人の道徳や倫理観を外国人に理解してもらうために、世界の歴史や哲学、文学、騎士道とも比較した上で、中立的な立場でまとめられているのは評価に値すると思われます。
この「武士道」という言葉は中世社会には見られず、この時代は武士の行為規範に対して「弓馬の道」、「弓矢とる身のならい」などの語が用いられていました。
「武士道というは死ぬことと見つけたり」という言葉を聞いたことがあるでしょうか?
佐賀藩鍋島家の元家臣・山本常朝(つねとも)が書いた『葉隠(はがくれ)』の中の一節です。
これには、「武士道とは死の教えである」という勘違いをする人が多く武士道への誤解を生むことになりました。
しかし、この文言の意味するところは死の強要ではありません。
死の覚悟をしたうえでしっかりと生きるという、生死を超えた「自由」の境地に到達し、それによって「武士としての職分を落ち度なく全うできる」という事です。
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