「保守」と「右翼」——あなたはこの二つの言葉を、なんとなく同じ意味で使っていませんか。書店の棚でも、ニュースのコメント欄でも、この二つは無造作に同じ側に並べられ、まるで双子の兄弟であるかのように扱われています。
でも実は、この二つはまったく違う生き物なのです。それを誰よりも鋭く、そして最終的には自らの肉体を賭して示した人物がいます。作家・三島由紀夫です。
三島は、保守と右翼の違いを「犬と狼」にたとえました。遠くから見れば同じ四つ足の獣でも、近づいてみればその魂の温度はまるで違う。保守とは、社会が長い時間をかけて育んできた「書かれていない知恵」を信じ、決して急がず庭を整え続ける「庭師」のような存在です。一方で右翼とは、現状への我慢のならなさを原動力に、枯れ野に自ら火を放ってでも新しい芽を出させようとする「火」なのです。
そして意外な事実があります。右翼が最初に牙を向く相手は、実は左翼ではなく、現状維持に安住する保守の中枢だったということ。二・二六事件の青年将校たちが襲撃したのは、まさにその重臣たちでした。
さらに三島は、右翼と左翼は実は「同じ坂」を逆方向に全力疾走している存在だと喝破します。過去に向かって駆け戻る右翼と、未来に向かって駆け出す左翼。保守だけが、その坂を走らず、足元の石段を一段ずつ積み直しているのです。
戦後日本に蔓延する「自称・右翼」への三島の批判は、氷のように冷たく響きます。「他人の家の門番をしながら、自分の家が焼けるのを眺めているようなものだ」——この言葉、令和の私たちにも刺さるのではないでしょうか。
そして三島が私たちに突きつけた、最後にして最大の問い。
「守ると口にしたそのものに、自分の一生をかけられるかどうか。かけられぬのなら、それは思想ではなく趣味なのです。」
あなたは今、庭師でしょうか、それとも火でしょうか。続きは本編でじっくりと。