今回は、終戦記念日を前に大東亜戦争(第二次世界大戦)を振り返りたいと思います。
勝者が正義で、歴史は勝者の都合の良い姿に塗り替えられるという事実は、はるか昔から繰り返されてきました。
民間人の大量虐殺でさえ正義になっているのです。
しかし、いくら歴史を捏造しても、真実はあぶり出されます。
我が国とアメリカの戦争は誰が望んで仕掛けたのでしょうか?
1995年に公表された「ヴェノナ文書」に含まれていた外交文書には、ルーズベルト政権の内部に多くのソ連のスパイがいたことが記されていました。
1945年2月のヤルタ会談でルーズベルトの後ろに立っていたアルジャー・ヒスは、ソ連のスパイだとして有罪になり、日本に対して最後通牒とも言われるハルノートを起草した、当時のハル国務長官の副官ハリー・ホワイトもソ連のスパイだったと言われています。
過去3代の共和党大統領が反対していた事項で、国務省の東欧部も慎重な姿勢の中、1933年11月、ルーズベルトはソ連を国家として承認しました。
当時のアメリカの世論は、圧倒的にヨーロッパにおいても太平洋においても戦争をしないようにという、戦争反対ムード一色だったのですが、1937年10月5日、ルーズベルトは、後に「隔離演説」と呼ばれる、「ドイツ、イタリア、日本」を伝染病患者に例えるような演説をし世論を動揺させます。
この3国に対する悪いイメージを刷り込みながら、日本を包囲しながら資源を絶ち、滅茶苦茶な内容のハルノートを送りつけました。
ハルノートとは、
アメリカ国務長官 コーデル・ハルによってなされた提案文書で、日本の中国およびインドシナからの全面撤退、蒋介石の中華民国国民政府以外のいかなる政権をも認めないなど、アジアの状態を満州事変前に戻せという一方的な内容です。
ルーズベルトは、日本が米国の挑発に乗って、米国のどこかを攻撃し米国の世論が戦争に向かうのを待っていたのです。
そして、日本はアメリカとの開戦を決め真珠湾攻撃へと発展することになります。
このハルノートについては、
アメリカ歴史学会会長、チャールズ・ビアード博士が、ルーズベルトには日米開戦の責任があると明確にしました。
1941年11月26日にハル国務長官が日本に首肯した10項目の要求、通称「ハルノート」について、「1900年以来、アメリカのとったいかなる対日外交手段に比べても先例をみない程強硬な要求であり、どんなに極端な帝国主義者であろうと、こうした方針を日本との外交政策に採用しなかった」と語りました。
そして、東京裁判でただ一人、戦犯とされた日本人全員の無罪を主張した、インドのパール博士は、ハルノートを「外交上の暴挙」と喝破しました。
それまでの8か月にわたる交渉の中で一度も話し合われたこともない過激な条項が、理解し難い形で日本に突きつけられていたのです。
1951年5月3日、マッカーサーは、米上院軍事・外交合同委員会の聴聞会で、
「日本は4つの小さい島々に8千万人近い人口を抱えていたことを理解しなければならない」
「日本の労働力は潜在的に量と質の両面で最良だ。
彼らは工場を建設し、労働力を得たが、原料を持っていなかった。
綿がない、羊毛がない、石油の産出がない、スズがない、ゴムがない、他にもないものばかりだった。
その全てがアジアの海域に存在していた」
「もし原料供給を断ち切られたら1000万~1200万人の失業者が日本で発生するだろう。
それを彼らは恐れた。従って日本を戦争に駆り立てた動機は、大部分が安全保障上の必要に迫られてのことだった」
と打ち合わせにない事を語りました。
会場にいた人達は騒然となったそうです。
証言通りならば、日本は侵略ではなく、自衛のために戦争したことになります。
これは「侵略国家・日本を打ち負かした正義の戦争」という先の大戦の前提を根底から覆すどころか、東京裁判(極東国際軍事裁判)まで正当性を失ってしまうことになりかねません。
この内容は東條英機首相の東京裁判における主張と一致します。
東條首相は、宣誓供述書のなかで「日本は侵略戦争をやったのではない。
常に受身で、自存自衛のために戦ったのである」と語っていました。
マッカーサーは何故このようなアメリカ人が好まない真実を語ったのでしょうか?
当時のマッカーサー人気は絶大で、愛機「バターン号」がサンフランシスコに到着した際は50万人以上が出迎え、ワシントン、ニューヨーク、シカゴ、ミルウォーキーの各地で行われたパレードには総勢数百万人が集まるほどでした。
しかし、この証言以降は、人気が急速にしぼみ、自身のこれまでの業績も否定することに繋がります。
マッカーサーは、朝鮮戦争を通じて北朝鮮の背後にいるソ連、中国という共産主義国の脅威を痛感したといいます。
朝鮮と台湾が共産主義国の手に落ちれば、日本も危うく、極東での米国の陣地は失われ、防衛線は米西海岸まで後退しかねない。
それを防ぐには朝鮮半島を死守するしかない。
中国を海と空で封じ込め、毛沢東率いる共産党政権を倒さねば、将来の米国の安全を脅かすと主張して譲らなかったのですが、トルーマンは、北大西洋条約機構(NATO)加盟国が、「中ソと徹底的に対立すれば、欧州はソ連の報復攻撃を受けかねない」と動揺したこともあり、北緯38度線付近で「痛み分け」にする策を練っていたのです。
マッカーサーは、
「過去100年に米国が太平洋地域で犯した最大の政治的過ちは共産勢力を中国で増大させたことだ。
次の100年で代償を払わなければならないだろう」と語り、
広島、長崎の原爆被害を問われると
「熟知している。数は両地域で異なるが、虐殺はどちらの地域でも残酷極まるものだった」と証言し、原爆投下を指示したトルーマンを批判しました。
マッカーサーの主張は、その後の歴史をたどっても説得力があります。
中国を増大させた代償を払わなければならないのは、我が国も同じです。
しっかりと歴史に学び、同じことを繰り返すことがないように、我々も真実と向き合っていく姿勢が大切だと思います。
まずは、戦後教育で植え付けられた自虐史観を払拭するところから始めていきましょう!