今回は、我が国の国史啓蒙家であり、倭塾の塾長、日本の心をつたえる会代表である小名木善行(おなぎぜんこう)氏に学ばせていただこうと思います。
皆さんは、「柳川一件」という出来事をご存じでしょうか?
江戸の武家社会では、学問が空理空論に走ることを戒めた事件として、大切な教訓とされました。
いくら勉強ができてても、「民を靖んじる」という「施政の本義」を失っては、国民の生活を守ることはできないからです。
江戸時代の初め頃のことです。
半島と国境を接する対馬藩は、島の田畑に限りがあるため、基本的に海洋からの漁労収入と、日本本土および朝鮮との交易が藩の財政と民政の柱になっていました。
今も対馬は韓国からの旅行者にたいへんな苦労をしていますが、昔はそれに武力行使が伴った分、より一層の気遣いがあったわけです。
その対馬藩に李氏朝鮮が「新しくできた徳川幕府に秀吉の朝鮮征伐のときの捕虜を返還させよ」と言ってきたことがあります。
対馬藩は李朝の主張を、江戸の幕府に伝えました。
なぜならもし李朝が対馬に攻め込んできたら、刀伊の入寇(といのにゅうこう)や元寇の再来となるからです。
島民は皆殺しにされ、女達は強姦され、裸にして軍船に吊るされ、食べ物にされてしまいます。
ところが幕府は、この申し出をまったく相手にしませんでした。
なぜなら幕府は、当時の半島を明国の一部と認識していたのです。
国と国との交渉なら、明国が日本との交渉を求めるべきであって、李氏朝鮮がでしゃばることではない。
このことは、たとえば日本政府が米国と交渉するのに、カリフォルニア州と直接交渉することなどありえないのと同じです。
カリフォルニアの知事が、日本の領土に危害を加えると言ってきたのなら、文句を言う先は合衆国政府であって、カリフォルニア州ではない。
さりとて合衆国政府が、そのようなカリフォルニア州知事の言うことを聞くはずもない。
これと同じで、幕府は李朝の主張に対して、相手にしようがない。
加えて、李朝の要求自体筋が通りません。
日本という国家に謝罪を要求するのなら、それは日本の政府機関である幕府に対して行うべきものです。
いち対馬藩に要求することではない。
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