私たちはどこへ向かっているのか?
不確定な未来に対して、唯一確実なのは「死」です。
ビジネスの場や、成功哲学などでゴールを決める中でこの事を見落としている人たちが多いのではと思います。
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武士道における死生観は、「死ぬことと見つけたり」という言葉で表現され、主君のために死ぬことも覚悟する精神を意味します。
「死」を覚悟することで「生」が浮かび上がり、今この瞬間に生命がほとばしる
死を厭わないことが美徳だと解釈されがちだが、誤解である
東国武士は自身の最期を名誉あるものにするために、勇ましい死に方、死に様を遂げようとする
南北朝期から室町期にかけては、一族の「未来の為」にどのような死を遂げ、飾るかといった、死への「期待的」観念がみられる
義・勇・仁・礼・誠・名誉・忠義
正義のためにこそふるわれるもの、義を行うための勇気
死ぬべき価値のない理由で死ぬのは「犬死」とされた
私たちの確実なゴールは「死」なのですが、それがいつなのかは分かりません。
10年後かも知れませんし、明日かもしれない。
そんな中で人生設計をする必要があります。
あなたは、明日で自分の人生が終わりを迎えるとしたら、それまでの時間に何をしたいですか?
最後まで嫌な事を我慢しながら過ごしますか?
私なら絶対に嫌です。
家族との時間を大切にし、笑って最期を迎えたい。
私は、寝たきりになったり、自分が誰だか分らなくなるようになるまで生きたいとは思いません。
家族に迷惑をかけず、惜しまれつつ最期を迎えると決めています。
映画「銀河鉄道の父」-トシが祖父喜助をビンタする場面-
賢治の妹トシが、死を目の前にして錯乱した祖父・喜助の頬をビンタして、「きれいに死ね」と一喝、その後抱きしめるシーン。衝撃でした。
その後、「大丈夫ですよ、お爺さん。」
「死なないでいられる人などいません。」
「心を穏やかに」と諭します。
いろいろ考えさせられるシーンでした。
最期の設定をすることで、それまでの自分の生き様を明確にすることができます。
お金ばかり追いかけて大切なものを見失う人生なのか、家族を大切にしながらバランスの取れた人生なのか。
強欲な政治家を見ているといつも思うのですが、あんな人が自分の親だったら恥ずかしくて生きていくのが嫌になります。
・・・その家族も同じ血が流れているから強欲で何も感じないのかも知れませんが。
恐らく歴史は許してはくれないでしょう。
きっと「末代までの恥」になる。
「失敗したらどうしょう」と何かにチャレンジする前に尻込みしてしまう人がいますが、死生観をはっきりさせれば変わるはずです。
どうせいつかは死にます。
その覚悟さえあれば、ちょっとぐらいの失敗は大したことありません。
それに「失敗=経験」と理解すれば、どんどん成長できる糧となります。
大切なのは同じ失敗を繰り返さないという事。
あなたは最期をどう迎えたいですか?