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悪人は善人のフリをして近づいてくる

羊の皮を被ったオオカミ

 

性善説に慣れきってしまった日本人は嘘つきを見抜くのが苦手・・・

特に関西人はお人好しが多いのか詐欺師のカモにされやすいようです。

「200%出馬はありません」と倍増しで嘘をつく人間が作った、嘘つき政党を応援し続けている。

「類は友を呼ぶ」って本当なんですけどね~・・・

 

俺は悪い奴ですなんて言う悪人いますか?!

悪人は必ず善人のフリをして近寄ってきます。

日本人は肩書に弱いので、弁護士、政治家、教授などを利用すれば簡単に騙されてしまいます。

どうしてなんでしょうか?

しかし、歴史に学んでいくとよくわかります。

 

フランシスコ・ザビエル

教科書では、こう学んだだけのはずです。

日本に興味を持ったザビエルは、日本にキリスト教を伝えることを決意し、1549年、日本を目指します。 そして、鹿児島に上陸しました。

鹿児島から長崎の平戸そして京都、大分まで旅をして教えを広めました。

しかし、実際には・・・

 

イエズス会と織田信長

織田信長はなぜ「天下人」になれたのか。三重大学の藤田達生教授は「キリスト教を保護する見返りにイエズス会から軍事協力を得た。鉄炮や大砲といった新兵器に関わる技術支援や軍事物資の供給は、信長の天下統一の大きな支えになった」という。

宣教師たちは、軍事物資の輸入のほかにも、異教徒を対象とする人身売買や高級品である生糸の輸入にも関与したことがわかっています。

「布教資金の確保のためにはなんでもした」というのが現実。

 

日本はポルトガル領となる予定だった

大航海時代のうねりが、ヨーロッパで始まった軍事革命を極東の島国日本にもたらします。

なんか、ONEPIECEの世界ですね!

この時代の代表的人物として私たちが思い浮かべるのは、コロンブス、マゼラン、ヴァスコ・ダ・ガマといった航海者、探検家、商人たちだと思います。

彼らが活躍できたのは、ヨーロッパ諸国において、夜間航行すら可能な羅針盤を用いた航海技術が普及し、さらに向かい風を受けても前進可能な大型帆船・ガレオン船が造船されるようになったからです。

 

地球規模で領地が二分割

スペインやポルトガルといった南欧諸国は、優秀な航海技術を武器に莫大な富を求めて海外征服をめざすことになります。

あらかじめ利権がぶつからないようにするために、ローマ教皇も交えてキリスト教以外の異教徒の世界を2分しました。

両国間における排他的な航海領域の設定と新発見地の領有や独占権については、1494年のトルデシリャス条約の締結によってルールが決定されました。

トルデシリャス条約

この条約によると、日本はポルトガル領となる予定でした。

ポルトガル国王は、このような一方的な植民地化を正当化するために、ローマ教皇に働きかけて、新発見地に対するカトリック化を奨励し、保護する姿勢を示したのです。

 

宗教の皮をかぶった軍隊

「本能寺の変」を陰で手引きし信長を暗殺したのはイエズス会だという説もあるほど闇が深い宗教団体なのですが、将軍が豊臣秀吉に代わり・・・

秀吉は、九州遠征に勝手に秀吉軍に同行していたポルトガル人でイエズス会の日本における布教の最高責任者であったガスパール・コエリョを引見すると、次のような四カ条からなる詰問を行いました。

 

一つ、なぜかくも熱心に日本の人々をキリシタンにしようとするのか。

一つ、なぜ神社仏閣を破壊し、坊主を迫害し、彼らと融和しようとしないのか。

一つ、牛馬は人間にとって有益な動物であるにもかかわらず、なぜこれを食べようとするのか。

一つ、なぜポルトガル人は多数の日本人を買い、奴隷として国外へ連れて行くようなことをするのか

 

という四カ条で、同時に秀吉はコエリョに対し追放令を突き付けています。

この追放令が出されたことで九州各地や京・大坂にあったイエズス会の教会や病院、学校などが次々に破壊されました。

 

西洋人「日本侵略」の意図

最初に宣教師を送り布教、続いて商人、最後に軍隊を送って国を乗っ取ってしまうという西欧列強お得意の植民地化計画が今まさに実行されようとしていました。

秀吉は九州遠征で日本人の貧しい少年少女が大勢、タダ同然の安さで西欧人に奴隷として売られていることを知り怒ります。

そして、それを防ぐためには、キリシタン大名や宣教師たちの勝手な振る舞いに一日でも早く歯止めをかける必要があると考えました。

 

『九州御動座記』の記録

大村由己は著書『九州御動座記』の中で日本人奴隷が長崎港で連行される様子を大要、次のように記録しています。

日本人が数百人、男女問わず南蛮船に買い取られ、獣のごとく手足に鎖を付けられたまま船底に追いやられた。地獄の呵責よりひどい。──中略──その上、牛馬を買い取り、生きながら皮を剝ぎ、坊主(宣教師を指す)も弟子も手を使って食し、親子兄弟も無礼の儀、畜生道の様子が眼下に広がっている……」

 

何とも酷たらしい場面ですが、当時の海外に出た西欧の商人にとって有色人種の奴隷交易はなんら恥じることのない商取引でした。

これはそもそも、1452年にローマ教皇がポルトガル人に対し異教徒を奴隷にしてもよい、という許可を与えたことが根底にあるといいます。

 

西洋は上品な国?

当時、西欧では食事にフォークやスプーンを使う習慣がまだ定着していなかったので、牛馬の肉を手づかみで食べるというが当たり前。

ルイス・フロイスも日本人が器用に箸を使って食事する様子を驚きをもって本国に伝えています。

上品な文化は日本から欧米へと広がったのではないでしょうか?

 

被害者はざっと5万人

海外に連行されていった日本人奴隷は、ポルトガル商人が主導したケースがほとんどで、その被害者はざっと5万人にのぼるといいます。

日本人奴隷は、マカオなどに駐在していた白人の富裕層の下で使役されたほか、遠くインドやアフリカ、欧州、ときには南米アルゼンチンやペルーにまで売られた例もあったといいます。

この5万人という数字に関しても、天正10年にローマに派遣された有名な少年使節団の一行が、世界各地の行く先々で日本の若い女性が奴隷として使役されているのを目撃していて、実際にはこの何倍もいたのではないかと言われています。

こうした実情を憂慮した秀吉は、コエリョに対し、日本人奴隷の売買を即刻停止するよう命じました。

 

キリシタン弾圧という印象操作

教科書、映画などの印象操作で嘘の歴史が広げられてきましたが・・・・

慶長元年12月19日(1597年2月5日)、スペイン船サン・フェリペ号の漂着をきっかけとして、スペイン人の宣教師・修道士6人を含む26人が長崎で処刑されました。

これはポルトガルよりも露骨に日本の植民地化を推し進めてくるスペインに対する秀吉一流の見せしめであったのです。

秀吉に対しキリシタンを弾圧した非道な君主というイメージを抱きがちだですが、実際はこの時の集団処刑が、秀吉が行った唯一のキリシタンへの直接的迫害であったとされています。

それもこの時は、スペイン系のフランシスコ会に対する迫害で、ポルトガル系のイエズス会に対しては特に迫害というものを加えたことはありませんでした。

 

最後に

やはり戦争の勝者によって都合よく歴史が塗り替えられていたことに気づきます。

「宗教の話はタブー」と言い出したのは、真実がバレるとまずい人たちです。

今回の話の中で見えてくると思いますが、今現在まで戦争を起こし続けている宗教は??

漫画『チ。ー地球の運動についてー』もこの団体のことが分かりやすく描かれています。

歴史を学びなおし、真実が見えてくると面白いですよね!

一緒に学び続けましょう。