「和算」を知っていますか?
聞いたことはあっても、よく知らないという人が大半ではないかと思います。
江戸時代の算数は「和算(わさん)」と呼ばれ、数字ではなく図解や言葉を使って計算する日本独自の数学でした。
農業や商業、土木建築など実用的な用途に用いられる一方、娯楽としても親しまれていました。
そのレベルは極めて高度で当時、世界最高水準でした。
関孝和の弟子である建部賢弘は、「円周率π」の計算で41桁まで弾き出すことに成功。
これは天才レオンハルト・オイラーが微積分学を用いて同じ公式を発見する15年も前のことです。
数学というと、我々は西洋から学んだものと思いがち。
明治維新で「西洋数学」を取り入れる以前から日本には和算という独自の数学がありました。
和算は江戸を中心に全国の各藩で盛んに研究されました。
和算に挑戦してみよう。数ある和算書のなかでも、『算法童子問』(村井中漸著)から「大原の花売り」を紹介します。
「京都大原の里から、毎日花を売りに来る女がいる。女の家には『桜・桃・椿・柳』の4種類の花があり、そのうち3種類を毎日均等になるように選び、売り歩く。選ぶ順番も同じだという。ある日、『桜・桃・椿』を買った。次に同じ組み合わせの花を購入できるのは何日後になるだろうか?」
これは「組み合わせ」の問題です。
4種類の花から3種類を選ぶ方法は何通りあるかを考えるのですが、「選び出す花」を考えると複雑になるので、逆に「家に置いてくる花」に着目。
「4種類のなかから3種類を選び出す」ことと、「どれか1種類を家に置いてくる」ことは同じ意味だからです。
これを「余事象」といい、ある事象に対して、そうではない反対の事象を指します。
この問題は余事象に注目することがポイント。
要するに発想の転換です。
図の通り、花は4種類なので、家に置いてくる花の選び方も4通り。
したがって4種類のなかから3種類を選び出す方法も同じ4通り。
つまり、花の組み合わせは4日で1回りするので、答えは「4日後」ということになります。
江戸時代初頭に成立し、明治時代に西洋数学に置き換わりました
デカルトの円定理なども用いる問題が考案されるなど、高いレベルの数学でした
馬乗り算や旅人算など、江戸時代の生活を描いたような文章題がいくつあります
盗人算やつるかめ算などでは、小学校で学習する図形の面積を使った解き方も考え出されました
関孝和の関流を筆頭にさまざまな流派があります
関孝和の弟子である建部賢弘は、「円周率π」の計算で41桁まで弾き出すことに成功しました
福田理軒は西洋の数学や数学の歴史書を日本で初めて1冊の本のまとめた人物です
田んぼを作るときの測量に用いられました
神社仏閣に奉納される算額(数学の問題が書かれた絵馬)が用いられました
なぞなぞやクイズのようにゲームとしても親しまれていました
戦後は、寺子屋式の教育システムや、和算のように、日本人がどんどん賢くなっていたかも知れないものが奪われ、GHQによる詰め込み式洗脳教育が採用される事になりました。
今一度、子供たちのために教育を見直すべきだと思います。