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日本最初の憲法「十七条憲法」聖徳太子に学ぶ道徳心。歴史に学ぶ姿勢「へつらう」「欺く」「妬む」「こびる」ことは悪行!

今回は人間性を高めるために歴史に学ぼうと思います。

長年の間、お札の顔となっていた人物「聖徳太子」の十七条憲法を振り返りながら学びたいと思います。

聖徳太子についてあまり詳しくは知らないけど、エピソードなどを聞くと知っている事が多くあると思います。

「柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺」という聞き馴染みのある俳句にも入っている「法隆寺」を建てた人物で、お札の肖像画になったり、教科書上でも必ず見た事があるような人物として有名ですが、本当は実在していなかったのではないか? と密かに噂されていたり、10人の話を一度に聞き分け、的確に返答したという能力から、実は神だったのではとか、預言者だったのかもと囁かれていたりもします。

実際にはどんな人物だったのでしょうか?

 

574年、橘宮(たちばなのみや)と呼ばれた地で、用明(ようめい)天皇を父に、穴穂部間人(あなほべのはしひとの)皇后を母に、聖徳太子は生まれたとされています。

推古天皇のもと、蘇我馬子と協力して政治を行い、国際的緊張のなかで遣隋使を派遣するなど、進んでいる中国の文化や制度を学び、冠位十二階や、十七条憲法を定めるなど、天皇や王族が中心である中央集権国家体制の確立を図りました。

また、仏教や儒教を取り入れ、神道とともに信仰し国家の繁栄に努めたとされます。

聡明で、人望があり、ずば抜けて優れている政治家だったようです。

外交的手腕が高く評価されただけではなく、国内的にも人脈づくりの才能に長け、知名度、資金力、組織もしっかり構築していたようです。

一大スポンサーの秦河勝(はだのかわかつ)には、献金のお礼にと「百済の仏像(くだらのぶつぞう)」を贈呈するのですが、実はこれが太子の造らせた「日本製」であることが調査で判明するなど、したたかな一面も垣間見られます。

 

名前に関しては、「聖徳太子」という名前の他に「厩戸皇子(うまやどのおうじ)」、「上宮皇子(かみつみやのみこ)」や「豊聡耳皇子(とよとみみのみこ)」など、10を超える名を持っていたそうです。

そして、推古12(604)年に十七条憲法を制定します。

現代の憲法とは異なり、貴族や官僚など政治に関わる人々に道徳や心がけを説いたもので、日本最初の憲法です。

内容は今の憲法とは違いますが、現代でも通じるものばかりです。

では、その憲法に学んでみましょう!

 

憲法1条 和を以って貴しとなし 生き続ける戒め

和を最も大切なものとし、争わないようにしなければなりません。

人は仲間を集め群れをつくりたがり、人格者は少ない。だから君主や父親にしたがわなかったり、近隣の人ともうまくいかない。

しかし上の者が和やかで下の者も素直ならば、議論で対立することがあっても、おのずから道理にかない調和する。

そんな世の中になると何事も成就するものだ。

憲法4条 すべての基本は「礼節」にある

政府高官や一般官吏たちは、礼をいつも基本としなければならない。

人民をおさめる根本は、必ず礼にある。

上に立っている者が礼法にかなっていないときは下の者の秩序は乱れ、下の者が礼法にかなわなければ、必ず罪を犯す者が出てくる。

群臣たちに礼法がたもたれているときは社会の秩序もみだれず、庶民たちに礼があれば国全体として自然に治まるものだ。

 

第5条は政治と裁判は公明正大であるべきだと定めています。

大臣(おおおみ)や、大連(おおむらじ)などの豪族が庶民を虐げ、専横を極めていた時代であり、聖徳太子は差別なく、公明正大な政治こそが理想国家への道と説きました。

そして、十七条の憲法を制定した目的は理想の国家を作り上げることであり、聖徳太子はその担い手である役人に対し、あるべき姿を第6条で説いています。

特に「へつらう」「欺く」「妬む」「こびる」ことを悪行として、厳しく戒め、このような役人がはびこることこそが、国家を危うくするとしています。

現代社会は、このような政治家、役人がはびこっています・・・

 

最後の17条では、役人による「独断」での決定を戒め、多くの衆知を集め、検討した上で判断することと定められました。

しかし、物事の軽重を判断する必要性も訴え、何でもかんでも会議を開くと、国家運営が停滞するとしています。

これは政府や役所に限らず、現代のさまざまな組織運営でも十分に通じる教えです。

聖徳太子の「必ず衆とともに宜しく論ずべし」という考え方は、明治天皇が諸侯や公家などの示した新政府の基本方針である

「五箇条の御誓文」の第一条に「広ク会議ヲ興(おこ)シ万機公論(ばんきこうろん)ニ決スヘシ」と銘記され、受け継がれています。

今一度しっかりとした教えを、政治家だけでなく、

政治家を選ぶ我々も、学ぶ必要があると思います。

みんなで向上していきましょう!

 

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