第一次世界大戦後、1919年にアメリカの呼びかけにより発足した国際連盟。
※現在の国際連合と同じで戦勝国が世界のルールを作るという構図。
・・・ロスチャイルドを始めとする銀行家たちが企んでいる「新世界秩序・世界政府」が見える形となりました。
まだまだ白人以外は人間ではなく家畜だという差別意識が強い中で奴隷制度、植民地政策は正しいとされていました。
その時、唯一日本だけが人類は平等であるべきと訴えます。
そして、国際連盟の規約に「各国は全て平等という主義にのっとり」という条文を入れるように主張しました。
しかし、イギリスやフランス、ベルギーなどは強く反対します。
・・・・そして日本の意見は却下されることになります。
日本もこんな事ぐらいではあきらめません。
1919年4月11日。国際連盟委員会・最終会議の日に日本は立ち上がります。
再度、「各国は全て平等という主義にのっとり」という条文を国際連盟規約の前文に入れるよう主張。
・・・・想定していた通り、イギリスが猛反発。
日本・珍田氏が「この理念に対して拒否するということは、他国を平等とは見ていないという証拠になる。差別しているということになりませんか?」と述べます。
アメリカ(ウィルソン大統領)は、採決辞退する必要がないのではと語りましたが、日本・牧野氏の『採決を!』により渋々採決を取り始めます。
流れが決まりました!
賛成が、日本、イタリア、フランスなど11票。
反対または保留が、イギリス、ポーランドなど5票。
日本案の勝利! と皆が思ったその時・・・・・。
アメリカのウィルソンが「全会一致の賛成が得られなかったので日本案は採択されない。」との発言。
議場は騒然!!
これまでのルールは全て多数決。
最初からイギリス、アメリカが望む結果意外は否決されるのです。
自分都合であとでルールを作るのは、東京裁判でも同じように繰り返されました。
戦勝国が当時の法ではなく、自分たちに都合の良い法律を後で作り、敗戦国を一方的に裁く。 ・・・法の下の裁判などではありません。
世界の仕組み、不平等な考え方、は今も変わっていません。
ただ、知って欲しいと思います。
日本人は本当に凄かったんだと。誇らしい生き方、選択をしていたんだと。
人種的差別撤廃提案 – Wikipedia
人種的差別撤廃提案(じんしゅてきさべつてっぱいていあん Racial Equality Proposal)とは、第一次世界大戦後のパリ講和会議の国際連盟委員会において、大日本帝国が主張した、人種差別の撤廃を明記するべきという提案を指す。イギリス帝国の自治領であったオーストラリアやアメリカ合衆国上院が強硬に反対し、ウッドロウ・ウィルソンアメリカ合衆国大統領の裁定で否決された。国際会議において人種差別撤廃を明確に主張した国は日本が世界で最初である。
http://ja.wikipedia.org/wiki/人種的差別撤廃提案