今回は、第二次世界大戦の末期頃から開発が進められていた「地震・津波兵器」について取り上げます。
この計画は1999年に機密指定が解除され、多くの人達が実態を知ることになります。
計画名は「プロジェクト・シール」、別名・津波爆弾計画。
ニュージーランド軍部が破壊的な津波を作る兵器を開発しようとした計画で、この兵器は1944年から1945年にかけてオークランド沖のワンガパラオアで実験され続けました。
7ヶ月余りの間に4千回も爆発実験が行われたといいます。
爆発は核エネルギーを使用したものだそうです。
また、米英はこの兵器を原子爆弾と同じくらい重要だと考え、使用も想定していたようです。
「米政府は第二次大戦の末期から地震・津波兵器の開発を進めてきた。ニュージーランドの沖合いで実施された津波爆弾『プロジェクト・シール』の実施で、30メートルを超える津波の発生に成功した。」
そして、1944年12月にはM7.9の「東南海地震」、1945年1月には、M6.8の「三河地震」が発生し、それぞれ数千人の犠牲者を出したのです。
この計画は、1947年にマスコミにリークされ、世界中で広く報道されました。
しかし、世間が騒ぎ始めた頃に、「ケネス・アーノルドのUFO目撃事件」をメディアがこぞって取り上げ大衆の目は、津波兵器からUFOへと向くことになります。
これは多くの人達が大衆の目をそらすための策だと見ています。
気象兵器、地震兵器、津波兵器などと聞くとすぐに陰謀論で、作り話だという人がいまだに存在しますが、ベトナム戦争におけるポパイ作戦(Operation Popeye)において人工降雨が軍事目的で使用されていますし、米軍がアラスカで展開している軍事施設『HAARP』も「地球物理学兵器」と称されています。
1977年5月18日、軍縮NGOの「環境制御会議(Environmental Modification Convention)」において、気象兵器を制限する環境改変兵器禁止条約(環境改変技術の軍事的使用その他の敵対的使用の禁止に関する条約、ENMOD)が、ジュネーヴにおいて採択されています。
同条約では、環境改変技術を破壊や攻撃などの軍事目的による使用を禁止し、気象制御などの平和目的での使用に限定されました。
日本は、1982年6月4日に国会承認をはたし批准。
アメリカ合衆国も調印し、米国国防軍には1978年10月5日に適用されました。
また、1997年には、クリントン政権に共和党から参加し、国防長官の職にあったウィリアム・コーエン氏が記者会見中に、電磁波を利用した気象兵器、地震兵器についてはっきり言及しているのです。
(「they can alter the climate, set off earthquakes, volcanoes remotely through the use of electromagnetic waves.」)。
2005年に公開された「地震を使った対日心理戦争計画」なる米軍機密文書には、以下の記載があります。
「第二次大戦末期の1944年にカリフォルニア大学のバイヤリー教授を中心とする地震学者たちが総動員され、「日本近海のどこの海底プレートに強力な爆弾を仕掛ければ、人工的に巨大な津波を起こせるかシュミレーションを繰り返した」という。
ここでいう「強力な爆発物」とは、開発まもない「原爆」のことである。」
そして、1944年12月にはM7.9の「東南海地震」、45年1月にはM6.8の「三河地震」が発生し、それぞれ数千人の犠牲者を出したのです。
前者では、三菱重工業や中島飛行機といった米軍が標的とする軍需工場が壊滅的な打撃を受けました。
「観測史上最大規模の大地震」だと当時の米国新聞は報じています。
15メートルの津波を伴ったそうです。
1957年の「国際地球観測年」には、核兵器を使って人工地震を起こし、地球の構造を探ろうとする提案があり、その実施の是非を巡った国際的な議論がなされています。
核兵器を使って人工地震を起こす技術は、「当たり前」に存在するものなのです。
50年以上前に検証の済んでいた「陳腐な旧式の大量破壊兵器」だったのです。
1995年1月17日の阪神大震災。
2011年3月11日、東北の沖合でとてつもなく巨大な地震が発生し、宮城や福島、岩手などで甚大な被害が発生しました。
この二つの大地震が起こった時の共通点は?
自民党政権から、中国寄りの政権に代わっていたことです。
1995年は、村山内閣(連立政権)
2011年は、菅内閣(民主党)でした。
果たして、この大地震は人工的なものだったのでしょうか?
現在も疑いは晴れていません。
皆さんは、地震兵器についてどう思いますか?