有馬温泉といえば、日本三古湯の一つとして知られる歴史ある温泉地です。家族でその風情ある街並みを散策していたある日のこと、前方に人だかりができているのが見えました。何事だろうと近づいてみると、そこには伝統的な猿回しのパフォーマンスが繰り広げられていたのです。
観光地でたまに見かける大道芸とは違う、どこか懐かしさを感じさせる光景。調教師の方の掛け声に合わせて、小さな猿が一生懸命に技を披露していました。竹馬に乗ったり、逆立ちをしたり、輪くぐりをしたり。その真剣な表情、時折見せる愛嬌のある仕草に、周りの観客からは自然と笑顔がこぼれ、拍手が起こります。
私もその輪の中に加わり、間近でパフォーマンスを見ていました。すると、猿の一生懸命さがひしひしと伝わってくるんです。これは単なる「芸」ではなく、長い時間をかけて練習を重ね、調教師との信頼関係のもとに成り立っている「仕事」なのだと実感しました。小さな体で必死に技を成功させようとする姿に、思わず感動してしまったのです。
そして、パフォーマンスが終わりを迎えました。調教師の方が最後の挨拶をし、猿もお辞儀をして観客に感謝を示します。会場は温かい拍手に包まれ、とても良い雰囲気でした。
その流れで、調教師の方がチップを受け取るための帽子を持って、観客の前に静かに差し出したのです。これは世界中で見られる、大道芸の後の自然な光景です。楽しませてもらった対価として、気持ちばかりのチップを入れる。それが暗黙の了解であり、お互いに尊重し合う文化だと思っていました。
ところが、です。それまで「すごいねー」「かわいいー」「上手だねー」と楽しそうに見ていた人たちが、まるで何かのスイッチが入ったかのように、一斉に散り始めたのです。その速さたるや、まるで誰かに追われているかのよう。帽子が差し出された瞬間、笑顔は消え、視線は逸らされ、足早にその場を離れていく人々。
残ったのは、ほんの数人だけでした。私も含めて、ポケットから小銭を取り出してチップを入れた人は、本当にわずか。さっきまで30人以上はいたはずの観客が、あっという間に5、6人になってしまったのです。
この光景を目の当たりにして、私は正直、言葉を失いました。そして同時に、日本の経済が低迷し続けている理由の一端が、ここにあるのではないかと感じたのです。
考えてみてください。彼らは何分間もの時間、無料でエンターテインメントを楽しみました。笑い、驚き、感動し、写真を撮り、その時間を満喫していたはずです。それなのに、いざ「対価を払う」という場面になると、さっと逃げてしまう。まるで「無料だと思っていたのに、お金を要求された」とでも言いたげな、あの素早さ。
でも、よく考えてみてください。調教師の方は、毎日この猿と練習をしています。猿の健康管理にも気を配り、移動費もかかり、生活もしなければなりません。彼らにとって、これは立派な「仕事」なのです。私たちが会社で働いて給料をもらうのと、本質的には何も変わりません。
それなのに、「楽しませてもらった」という事実があるにもかかわらず、その対価を払おうとしない。100円でも50円でも、気持ちを表すことすらできない。これは単なる「ケチ」というレベルを超えて、価値に対する感覚が麻痺しているのではないかと思うのです。
この出来事を振り返っていたとき、もう一つの記憶が蘇ってきました。それは、以前クリスマスシーズンに街中で見たストリートパフォーマンスのことです。
イルミネーションが輝く駅前の広場で、若いバンドがアコースティックギターとボーカルで素敵な演奏をしていました。クリスマスソングを中心としたセットリストで、通りすがりの人々を立ち止まらせるほどの腕前。私も足を止めて、10分ほど聴き入っていました。
そのパフォーマンスが一曲終わるごとに、ギターケースに置かれたチップ入れに何人かが小銭を入れていく。でも、やはりここでも、聴いている人の数とチップを入れる人の数には大きな隔たりがありました。30人くらいが立ち止まって聴いているのに、チップを入れるのは3、4人程度。
有馬温泉の猿回しと全く同じ構図です。「無料で楽しめるものには対価を払わない」という、暗黙の姿勢が蔓延しているのです。
なぜこんなことになってしまったのでしょうか。一つには、日本が「無料サービス」に慣れすぎてしまったことがあると思います。
テレビは無料で見られる。SNSも無料。YouTubeも基本無料。店頭でのサービスも手厚く、それでいて追加料金は発生しない。水は無料で出てくるし、おしぼりも無料。こうした環境に長年浸かっているうちに、「価値あるものでも、無料で享受できるのが当たり前」という感覚が染み付いてしまったのかもしれません。
でも、本当は何もかもが無料なわけではありません。テレビは広告収入で成り立っていますし、無料サービスの多くはどこかで誰かが費用を負担しています。それなのに、目に見える形で「対価を払う」という行為から遠ざかってしまった結果、価値に対して支払うという感覚が鈍くなってしまったのです。
有馬温泉で散っていった人たちを見て思ったのは、「自分が得することしか考えていない」ということです。楽しむだけ楽しんで、お金を払う段になったら逃げる。これは極端に言えば、価値を搾取しているのと同じです。
「100円くらい出してもいいけど、別に出さなくても怒られないし」「他の人も出してないし」という計算が、瞬時に頭の中で働いているのでしょう。得することには敏感で、与えることには鈍感。こうした思考回路が当たり前になってしまったら、それは社会全体の貧しさにつながります。
経済というのは、お金の循環です。誰かが価値を提供し、それに対して適切な対価が支払われ、そのお金がまた別の誰かのところへ流れていく。この循環が健全に回っていれば、経済は活性化します。でも、「無料で得られるものには払わない」という姿勢が蔓延すれば、循環は滞り、経済は停滞します。
日本の経済が長年低迷している理由は複雑で、一つの要因だけではありません。でも、こうした「価値に対して対価を払わない」という姿勢が、その一因になっているのは間違いないと思うのです。
もう一つ大切なことがあります。それは、「ケチな姿勢は、必ず自分に跳ね返ってくる」ということです。
あなたが何かのサービスや商品を提供する側になったとき、相手が「できるだけ安く、できれば無料で」という姿勢で接してきたら、どう感じるでしょうか。自分の労力や時間、技術に対して正当な評価をしてもらえなかったら、悲しくなりませんか。
価値を提供する側の気持ちを想像できない人は、いざ自分が提供する側になったときに、同じように軽んじられることになります。これは、ある種の「因果応報」だと思うのです。
また、「お金を払う」という行為を通じて、私たちは社会に参加しています。対価を払うことで、その活動を応援し、継続を後押ししているのです。猿回しにチップを払えば、その調教師さんは「また明日も頑張ろう」と思えるかもしれません。ストリートミュージシャンにチップを払えば、「音楽を続けていこう」という励みになるかもしれません。
逆に、誰も対価を払わなければ、その活動は続けられなくなります。結果として、街から文化や楽しみが消えていく。最終的に損をするのは、私たち自身なのです。
ここまで、対価を払うことの大切さを語ってきましたが、実は私自身、家族から「チップをあげすぎ」と叱られるタイプなんです。これはこれで、問題があるかもしれません。
海外旅行に行ったとき、ホテルのベッドメイキングに毎日チップを置いたり、タクシーでお釣りを「キープ・ザ・チェンジ」と言って渡したり。レストランでも、サービスが良ければ規定以上のチップを置いてしまう。すると、妻から「そんなに出さなくても」と言われることもしばしば。
つまり、極端にケチなのも問題ですが、極端に気前が良すぎるのも、家計のことを考えると問題なわけです。大切なのは、バランス感覚なのだと思います。
自分の経済状況を無視して無理にチップを払う必要はありません。でも、楽しませてもらったら、自分ができる範囲で感謝の気持ちを表す。それが100円であっても、50円であっても構わないのです。金額の多寡ではなく、「価値に対して対価を払う」という姿勢が大切なのだと思います。
この有馬温泉での出来事を通じて、私は子どもたちに伝えたいことがあります。それは、「価値あるものには、きちんと対価を払おう」ということです。
無料で楽しめるものが溢れている時代だからこそ、「これは誰かの努力や時間、技術の結晶なんだ」ということを意識する必要があります。そして、楽しませてもらったら、感謝の気持ちを何らかの形で表す。それがお金であったり、拍手であったり、「ありがとう」という言葉であったり。
こうした姿勢は、単にお金の使い方だけの問題ではありません。人としての在り方、社会との関わり方の根本に関わることだと思うのです。
最後に、「豊かさ」について考えてみたいと思います。日本は経済的に停滞しているとよく言われます。給料は上がらず、物価は上がり、将来への不安も大きい。確かに、数字で見れば厳しい状況です。
でも、本当の豊かさとは、お金だけで測れるものではないはずです。心の豊かさ、文化の豊かさ、人と人とのつながりの豊かさ。そうしたものを大切にできる社会こそが、真に豊かな社会なのではないでしょうか。
有馬温泉で猿回しにチップを払うこと。それは、単にお金を渡す行為ではありません。伝統文化を尊重し、努力を讃え、次の世代にも続けてほしいという願いを込めた、一つのコミュニケーションなのです。
そうした小さな行為の積み重ねが、社会を豊かにしていく。お金の循環を生み出し、文化を育み、人々をつなげていく。私はそう信じています。
有馬温泉の猿回しで見た光景は、決して特別なことではなく、現代日本のあちこちで起きている出来事の縮図だったのだと思います。でも、だからこそ、一人ひとりが意識を変えることで、少しずつでも状況は変わっていくはずです。
次に大道芸を見かけたら、楽しませてもらったら、ポケットに手を入れてみてください。100円でも構いません。その小さな行為が、誰かの明日を支え、文化を守り、社会を少しだけ豊かにする。そう考えると、チップを払うことも、ちょっと素敵な行為に思えてきませんか。
もちろん、無理をする必要はありません。でも、「価値に対して対価を払う」という当たり前のことを、当たり前に実践できる社会になれば、きっと日本はもっと良くなるはずです。
私自身も、「チップをあげすぎて叱られる」くらいから、もう少しバランスの取れた姿勢を目指そうと思います。でも、絶対に「楽しませてもらったのに何も払わない」という人にはなりたくない。それだけは、これからも変わらないでしょう。
あなたは、どちらのタイプでしょうか。そして、これからどんな姿勢で、価値と対価に向き合っていきますか。