明治維新と欧米の陰謀!坂本龍馬はフリーメイソン?!



 

今回は、教科書などでは語られなかった「明治維新の真実」について掘り下げます。

明治維新とは、鎖国中の日本に、ペリーが率いる黒船が1853年に来航し開国を迫るのをきっかけに、1867年の王政復古の大号令、1868年の戊辰戦争を経て明治政府が生まれるまでを指します。

「薩摩&長州 VS 幕府」という構図で、「坂本龍馬を通して手を組んだ薩摩と長州が幕府を倒す」という図式が、一般的に知られている明治維新だと思います。

当時の日本では何が起きていたのか?

また、日本人はどんな境遇に置かれ、どんな意思を持って動いていたのでしょうか?

 

明治維新前の江戸の人口は100万人ほどで、世界ではトップクラスの首都でした。

イギリスの首都であるロンドンの当時の人口は86万人。

フランスの首都であるパリは、54万人でした。

そして、江戸時代の頃の日本は治安も安定していて、江戸時代の270年間で起こった犯罪件数は、現在の日本で起こる1年間の犯罪件数分しか起こっていなかったそうです。

また、教育がものすごく盛んで、私塾の数も松下村塾、鳴滝塾、適塾あわせて1500軒、寺子屋に至っては15000軒もあり、多くの人達が勉学に励んでいたと言われています。

識字率も当時のロンドンが10%に対して、江戸時代の日本は70%以上でした。

つまり、世界から見ても、非常に高い識字率を誇っていたのです。

ですから、当時の江戸を訪れた外国人は日本の事を大絶賛し、その魅力が海外に知れ渡っていく事に繋がっていきます。

ヨーロッパでは日本の浮世絵が流行り、有名な画家、ゴッホも浮世絵に影響を受けたと語っています。

日本の情報が海外に流れていくごとに、日本を支配しようと考える国も増えてくるようになります。

 

そしていよいよ、1853年、ペリーが黒船に乗って来航しました。

その狙いは日本にあった「金」です。

当時、日本は金の産出量が世界の総産出量の3分の1を占めると言われたほど多かったのです。

そして、そこに目をつけたアメリカは日本に開国を迫りました。

その後、1858年、アメリカの外交官タウンゼント・ハリスが、江戸幕府の大老、井伊直弼との間で「日米修好通商条約」を結びました。

この不平等条約締結をきっかけに、日本で産出された金は、どんどんアメリカに流れ込むことになりました。

実は当時、金が豊富に取れる日本において、「金」の相場は世界相場に比べて圧倒的に安かったのです。

世界の相場は、メキシコ銀貨四枚で、金貨一枚と交換。

ところが、日本では、メキシコ銀貨一枚と、慶長小判(金貨)一枚を交換してもらえたのです。

通貨の交換ができる香港と日本を一往復するだけで、手持ちの金が4倍に増えることを知ったハリスは、条約内の細則で、金と銀の両替相場を固定しました。

その結果ハリスは、香港と日本を往復するだけで、現在の額で言うと数京円という巨万の富を手にすることになります。

日本の小判はあっという間にアメリカに吸い上げられ市場から消えるほどになりました。

 

このお金は、当時アメリカ内部で起こっていた南北戦争の軍事資金に使われることになります。

実は、このハリスは南北戦争で勝利したリンカーン大統領の部下だったのです。

そのため、この金の大部分は北軍の軍事資金として使われ、それまで劣勢だった北軍を一気に後押しし、勝利を収めるまでになったのです。

南北戦争のリンカーンの勝利の裏には、不平等条約によって奪われた日本の金の活躍があったのです。

その後、アメリカ北部の資産家は、南北戦争で大量に余った武器を見てこう考えました。

「この余った武器をどこかの国に売れないだろうか・・・」

「武器が必要な国に対してなら高く売れるはずだ!」

アメリカの資産家は、明治維新で動乱していた日本に目をつけます。

しかし、当時の日本は大政奉還も終わっていて、争いもなく、武器を持つ必要なんてありませんでした。

ですが、武器を合理的に売り捌きたいアメリカの資産家たちは、日本に内戦をけしかけるような方法で武器を売り捌いたのです。

 

この際、アメリカが日本へ直接売るとなると、幕府軍か朝廷軍のどちらかにしか武器を売ることはできません。

そこで、余った武器を全て売り捌くために、フランスと、イギリスを経由することにしました。

フランスは、幕府に武器を売り、イギリスは、薩摩と長州に武器を売ったのです。

その結果、またまた資産家たちは巨万の富を得る事になるのですが、更に日本を植民地化しようと企んでいました。

そこで大きく関わってくるのが、1859年に来日したスコットランド人、トーマス・ブレーク・グラバーです。

 

グラバー氏はフリーメイソンで、「ジャーディン・マセソン商会」の長崎代理店として「グラバー商会」を設立します。

「ジャーディン・マセソン商会」はアヘン戦争で暗躍したロスチャイルド系商社で、業務の一つは、アヘンの密輸でした。

同じロスチャイルド系の「香港上海銀行」は、マセソンなどが香港で稼いだアヘン資金をイギリスに送金するために設立された銀行です。

グラバー氏は、坂本龍馬と知り合った後、資金援助をし亀山社中の設立と、行動のサポートをするようになります。

坂本龍馬は1865年、グラバー商会から7300挺の洋式銃を薩摩藩名義で買い付けます。

そして、これらの銃が長州藩に渡り、薩長和解の契機となります。

グラバー氏は龍馬を動かし、薩摩、長州、土佐ら討幕派を支援し、武器や弾薬を販売。

つまり、江戸幕府を倒した反政府組織のクーデターを支援した武器商人だったのです。

 

明治維新は、現在の日本では、英雄として扱われる坂本龍馬をはじめ、人気の高い歴史上の人物も数多く登場するため、「当時の日本にとって良い事だった!」と考えられることが多いのですが、見方を少し変えると、全く違った部分が浮き彫りになっていきます。

歴史は常に時の勝者が作るものと語られますが、日本がもし戦争に負けていなかったら

どのような歴史が語り継がれていたのでしょうか?

 




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