慰安婦問題で日本をバッシングし続ける韓国ですが、ベトナム戦争での韓国の行いは非常に酷く、人間としてどうなのかを疑わざるを得ないものです。
韓国はベトナム戦争での大罪を反省しないばかりか、ベトナム人虐殺を体験できるテーマパークが存在します。
2008年に韓国では、江原華川郡看東面五音里にあった当時のベトナム派兵将兵訓練場が復元され「ベトナム派兵記念館」が開館しました。
・・・・滅茶苦茶です。
韓国軍の掃討作戦は、一次的にじゅうたん爆撃等で作戦地域を公開して、地上軍が現場に投入されて村に残っている住民たちを即決処分した後、家を燃やしてブルドーザー等で村全体を押し潰す方式で展開した。
生存者の証言で共通な点は、無差別機関銃乱射、大量殺戮、妊産婦、女性に対する強姦殺害、家屋への放火などだ。
「女性と老人、子供たちを一ケ所に集めた後、機関銃を乱射して抹殺する」
「住民たちを家と一緒に、死亡者も生存者も全部燃やす」
「子供の頭を割ったり首をはね、脚を切ったり四肢を切断して火にほうり込む」
「女性を強姦した後に殺害して、妊産婦の腹を胎児が破れ出るまで軍靴で踏み潰す」
「住民たちを村のトンネルに追い詰めて、毒ガスを浴びせて窒息死させた」
「子供たちの口にキャンディーが含まされ、老人たちの口にはタバコが咥えられていた。村人を安心させながら、一ケ所に集めて虐殺する手段だった」
キム・イルランさんの場合
●「猛虎部隊」の分隊長として
「寝て起きたら戦闘、そしてまた戦闘。その繰り返しです。すると、戦場で人を殺すことまでが、ストレス発散方法になりました。誰がいちばん早く人を撃ち殺すかで、ビールを賭けました。人の命で賭けをしていたのです……」
さらに戦場での記憶をたどって、彼は告白するように話し続けた。
「六六年九月から三カ月間、私はベトナム中部のフーカットというところで、『猛虎六号作戦』を行なっていました。ある村に二〇人ぐらいのベトコンがいるという情報を得たので行ってみたんです。それまでの戦闘で戦友がたくさん戦死したり負傷したりしていましたから、そのとき私たちは完全に頭に血が昇って狂ったようになっていました。
村ではベトコンを探し出すのが難しくて、私たちは見せしめのために村長の娘を木に吊るして腹を切ったんです。それでも、村長は何も言わなかったので、二番目の娘も同じようにして殺したんです。そして、三番目の娘を吊るしたら、とうとう村長が口を開きました。こうやってベトコンを全部探し出して、村長も含めてそこにいた人たちを皆殺しにしました。こんなことは数えきれないくらいありました。私たちは人間ではなかったんです……」
ベトナム戦争に参戦した韓国軍元兵士たち 抜粋
http://www.asiawave.co.jp/KyonSukkyon1.htm
村を丸ごと焼き払い、死者の耳までそいでいった。アメリカの捕虜になった方が待遇が良かった。韓国の捕虜になったら殺されるのである。韓国兵はベトナム人を蔑み、人前で平気でビンタをとる。ベトナム人には美人が多いので、女は皆、慰安婦にさせられた。韓国との混血児は名乗りでないので、はっきりとした数は判らないが、一万人以上はいるはずだ」
※写真・ベトナム人の耳を斬って作ったと言われる首飾りをする韓国兵
ベトナム戦争当時(1965~73年)、韓国軍兵士や軍属の韓国民間人はベトナムで、強姦・非管理売春・現地妻の保有などをしていました。
韓国人とベトナム人女性との間には、「ライタイハン」と呼ばれる数万人の混血児が生まれています。
ライタイハンが戦後放置された問題も、韓国は否認することができない歴史的事実です。
韓国人との混血児を産んだベトナム人女性は、韓国政府から何ら謝罪も賠償も受けていません。
ベトナム戦争当時の韓国軍総司令官、蔡命新は、「あれは戦争だった。誰に対しても償う必要はない」と公式的な発言をしました。